平成11年9月14日 京都新聞

写真990914京都新聞 1999年(平成11年)9月14日掲載記事 転載
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「一乗寺道」(京都市左京区一乗寺)
下り松に伝わる武蔵決闘


一乗寺はもともと、京都から比叡山や近江国へ至る交通の要地として開けた。一乗寺道の南端は、剣豪・宮本武蔵と吉岡又七郎が決闘したと伝わる一乗寺下り松。休日は、詩仙堂や曼殊院、修学院離宮など洛北の名勝巡りの起点として観光客でにぎわうが、ふだんは落ち着いたたたずまいの生活道路だ。

詩仙堂は、下り松から東へ二百メートル。江戸初期の文人・石川丈山の山荘跡で大坂夏の陣での軍功が徳川家康に疎まれた丈山が九十歳で没するまでの三十年を過ごした。南の金福寺には、松尾芭蕉が旅のつえを休めた庵(いおり)が残る。芭蕉庵(あん)を再興した与謝蕪村もこの地を愛し、葬られた。

江戸末期には安政の大獄に携わった村上たか女が出家して余生を送り、同時期、失脚した反幕派の三条実方もこの里の郷士宅に身を寄せた。かつて都は遠い存在。一乗寺は、都のけん騒や追っ手を逃れた人たちの隠せいの地だった。

点在する古跡や郷士の流れをくむ里人の石塀土壁の立派な民家が、風雅と寂ばくの逸話をかろうじて伝える。だが、下り松から西を向けば、白川通の忙しい往来がすぐそこに。新しい住宅が立ち並び、渋滞を嫌う車が抜け道を探して迷い込む。ここはもう、すっかり都市の一部になった。

メモ
一乗寺道は近江・坂本から都へ続く京道や雲母(きらら)坂を結ぶ南北一.二キロの旧街道。下り松は、平敦盛の遺児と法然の出会いの場としても有名。武蔵決闘の時代の松は氏神でもある八大神社の境内に。

写真:石塀土壁の民家が点在する一乗寺道。左が目印の下り松。現代は4代目という