現在の一乗寺下り松

宮本武蔵と吉岡一門の決闘からおよそ四百年。現在の一乗寺下り松(さがりまつ)の地には、四代目の松が生き、歴史を伝える石碑が立っています。
下り松は古くからの交通の要所で、松の前で道が二つに分かれます。北へ折れると白鳥越え、東へ折れると今道越え、共に、比叡山を経て近江へ通じる、平安時代からの古い街道です。

下り松01


下り松02四代目の一乗寺下り松
武蔵決闘当時の初代下り松は、昭和二十年まで現在の位置にあり、二代目は修学院離宮から移植され、その後、三代目に植え替えられました。 この三代目が、昭和五十六年三月ごろ、流行した松くい虫の被害に遭い、同年五月ごろついに枯死してしまいました。
一乗寺のシンボルである下り松を途絶えさせない為、氏子の皆様により善後策が検討され、氏子の方の一人から、丹精を込めて育ててきたクロマツを奉納頂き、昭和五十七年一月十一日に四代目となる下り松が植樹されました。

石碑:吉岡「宮本 吉岡 決闘之地」石碑
大正十年、広島県呉の剣士「堀 正平」氏により、自書自刻にて建てられた石碑です。堀氏は、後に剣道藩士九段となられた大家です。
堀氏は、以前から名刀を売ってでも、宮本武蔵と吉岡一門との決闘の地に碑を、その地下り松に建てたいと思っておられました。
石碑に「大正十辛酉年 堀 翁女 建之」とあります。これは、同年堀氏の先妻(翁)がお亡くなりになり、その供養として自ら彫られたことを示しています。剣士からの御香典と親族からの御供えを足しにされ、自費を以って建碑されました。
(剣道藩士九段 堀正平 遺稿集 「正剣記」より)

石碑:楠木正成一乗寺下り松に伝わる逸話
古くから、京都から比叡山や近江国へ至る交通の要所である一乗寺下り松には、由緒や逸話が数多くあります。
中でも有名なものが「敦盛遺児伝説」です。一の谷で戦死した平敦盛の遺児が松の下に捨てられているのを法然上人が拾い上げ、立派な僧に育てあげたと、伝えられています。
また、建武三年(1336年)、楠木正成が足利軍と対峙(たいじ)して、この地に陣を構えたことも伝わっております。