起源・名称

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起源
剣鉾の起源は、祇園御霊回の鉾に由来しています。すでに平安中期には原始的な剣鉾がありました。往事にさかのぼる現品については、確認することは困難です。加賀前田家伝来の「祭礼草紙」・上杉家伝来の「洛中洛外図屏風」に描かれた室町末期の剣鉾が現在も伝わる姿に近いです。

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名称
「剣鉾」の名は、その形から発生したもので一般名称として用いられています。差するところからの「指鉾」、振るところからの「振鉾」などの名もあります。

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各部と名称

基本的な形態は、[剣] [飾] [受金と額] [鈴] [棹] [吹散] の六つの要素から 成り立っています。

剣鉾各部名称

龍鉾
先端の剣は剣先とも言われ、最も重要な要素です。剣が前後に振られる姿から「まねき」と呼ぶのも、剣が神を招くという霊力を感じている証拠です。

長さ・幅
長さ1〜2メートル、上部の張り出しの幅30センチにも及ぶ大きな鉾形です。

厚さ
厚さは根もとで5ミリ前後、先端は1ミリ未満という薄い金属板からできています。上部に薄く下部に厚い、という剣の形態は、圧延ではなく鍛造でなくてはなりません。鍛造の過熱の火力には稲藁を使用します。

材質
金属の材質は動と亜鉛の比率を「7:3」とした真鍮が標準とされています。この比率は、棹を振ることによって前後に折れ曲がるという条件を満たすためです。

技法
八大神社の剣鉾は、剣を固定させてさらに剣先の弾力性を強固にするために、以下のような技法を用いています。
・宗竹を長さ約80センチ、幅約4センチ、に割った竹板2枚で剣の下部をはさむ。
・さらに、棹の中に深く差し込む。

■受金と額
剣を棹に固定するための受金は、額と組み合わされることが多いです。額には神弓や神社名が記されます。その周縁には精巧な金工技術が施されています。受金は剣の茎が額を突き刺してくるために、額と棹の安定をはかろうとして、上に大きく下に小さい形態を必要としています。
「州浜」「かぶら」という呼称
その形から「州浜」とか「かぶら」とか呼称しています。上に2つ、下に1つ、の丸形の紋章を組み合わせて「州浜」という呼称を作り出しています。また、額と受金を一体化して上が大きく下が小さい逆三角形を作って角を丸めた形から、京野菜の蕪を連想して「かぶら」の呼称があります。

■飾
飾は花とも呼ぶ、受金の両側に大きく張り出した金具で最も目立つ部分です。その意匠によって鉾の名称となっています。動物・植物・形象・伝説など数多くあります。八大神社には「龍」「菊」「柏」の三基があります。

■棹・鈴
石突は少々細く、鉾差しは腰に巻いた帯の前に、袋状(「壺」と呼称)のところに石突きを差し入れます。棹の一番太い中央部分、直径約13センチくらいで、両手で支えて腰の力で剣を振ります。 剣を、前後に折れ曲がるような振り方をしながら、鈴を左右に二回ずつ八の字型に棹に押し当てて音を発するのが最高の技術とされています。
鉾差しは上方の剣先、鈴の振れ方を見つめながら前へと歩み、傍らの鉾差し控えが安全な道案内をつとめます。
鈴は小さな的鐘形に舌がつき、棹に当てながら舌も音を発するという二重構造になっています。この鈴の音は、金属音を発することによって霊魂を鎮めるという意味も持っています。
剣鉾の原型から考えると、棹は2メートルくらいの太い棒であったのかもしれませんが、差すという動作を加えることによっておよそ5メートル前後になっています。黒漆塗りに螺鈿や金具を施した豪華なものもあります。

■吹散
「旗」「幟」「鰭」「比礼」「見送り」などいろいろに呼称されています。棹に下げられた小さな布袋が長くなり、現在では幅40〜50センチ、長さ5メートルにも及ぶようになりました。下の方は軸に巻いて伴の者が両手で支えています。
もとは幟のように垂らしていたので、風によって吹き散らされるところから「吹散」の名称が生まれました。生地は単なる平織りでしたが、豪華な織物を用いるようになりました。特に西陣一帯の剣鉾の吹散にはその町の職人が一世一代の腕の見せ所と競い合って織り上げた名品が現在も残されています。